2013年01月
【地ビール探訪・その42】東京:銀座ブルワリー
銀座にある銀座麦酒醸造所(通称・銀座ブルワリー)に行ってきました。
ここは八蛮という居酒屋に併設されている醸造所で、居酒屋では出来たての地ビールが飲めます。ただし、ビール単品の注文はできず、4200円で2時間食い飲み放題コースを注文する必要があります。しかも料理はおまかせなので好き嫌いの激しい方は注意してください。まあ、出てくる料理はどれも美味かったのでそんな警戒する必要はないんでしょうが。

ヴァイツェン。
バナナやバニラの香りがぱあっと広がる。口に含むとキレ感があり、苦みとすっきり感、独特の甘みがする。料理と一緒に飲むと甘さも感じるようになる。単体でも料理と合わせても旨い。飲み放題なのでピッチャー丸ごと持ってきてくれた。

アルトかペールエールだと思う。
この日は偶然、オーナーの鈴木氏がいらっしゃったので、いろいろ話を聞かせてもらいながら飲んだ。ワイン造りを勉強しに訪欧したのがきっかけで何故かビール造りを志すようになった話。4大メーカーがつくる似たり寄ったりのビールに飽き飽きしたという話。新しい事業の話。趣味のアウトドアの話などなど・・・、親しみのもてる江戸っ子口調でいろいろと話してくださった。あと、氏の人生観の根底には「人生楽しく生きねえと」というものがあるみたい。御年60は超えていそうな鈴木氏だが、新しい事業の話を語っていた氏の姿は、まるで夢を追い続ける青年のように眩しかった。
まだ30前半の若造であるワシもあんな時期があったような無かったような・・・、てゆーか、人生を楽しく送りたいのはやまやまだけど、先立つものが、ねえ・・・、なんて思って燻ぶってるから、いつまでもうだつがあがらないのね。トホホ・・・。

ここは八蛮という居酒屋に併設されている醸造所で、居酒屋では出来たての地ビールが飲めます。ただし、ビール単品の注文はできず、4200円で2時間食い飲み放題コースを注文する必要があります。しかも料理はおまかせなので好き嫌いの激しい方は注意してください。まあ、出てくる料理はどれも美味かったのでそんな警戒する必要はないんでしょうが。

ヴァイツェン。
バナナやバニラの香りがぱあっと広がる。口に含むとキレ感があり、苦みとすっきり感、独特の甘みがする。料理と一緒に飲むと甘さも感じるようになる。単体でも料理と合わせても旨い。飲み放題なのでピッチャー丸ごと持ってきてくれた。

アルトかペールエールだと思う。
この日は偶然、オーナーの鈴木氏がいらっしゃったので、いろいろ話を聞かせてもらいながら飲んだ。ワイン造りを勉強しに訪欧したのがきっかけで何故かビール造りを志すようになった話。4大メーカーがつくる似たり寄ったりのビールに飽き飽きしたという話。新しい事業の話。趣味のアウトドアの話などなど・・・、親しみのもてる江戸っ子口調でいろいろと話してくださった。あと、氏の人生観の根底には「人生楽しく生きねえと」というものがあるみたい。御年60は超えていそうな鈴木氏だが、新しい事業の話を語っていた氏の姿は、まるで夢を追い続ける青年のように眩しかった。
まだ30前半の若造であるワシもあんな時期があったような無かったような・・・、てゆーか、人生を楽しく送りたいのはやまやまだけど、先立つものが、ねえ・・・、なんて思って燻ぶってるから、いつまでもうだつがあがらないのね。トホホ・・・。

【地ビール探訪・その41】東京:多摩の恵
東京の石川酒造さんがつくっている「多摩の恵」という地ビールを飲んできました。
行って初めて知ったんですが、なんと石川酒造さんは1994年の規制緩和以前にもビールをつくっていたそうで、その年はなんと1887年、明治時代ですよ。文明開化・殖産興業の時代に、新しい流れに乗り遅れてはならないと、海外から入ってきたビールをつくろうとしたんでしょうねえ。そういえば当時も雨後の竹の子のごとく100を超えるビールメーカーが誕生したそうですが、それってまるで今のクラフトビアブームのよう。このブームが昔のように終息せず、いつまでも続きますように。

これ↑は当時使用していたビール釜と、その窯を納めるために建立された「麦酒窯の堂」。柱には当時のビール醸造の様子が彫られている。

資料館には、明治時代にビール醸造をしていた当時のレシピや瓶・ラベル等が展示されている。
石川酒造は1887年2月からビール釀造を開始し、同年6月から「日本麦酒」の名称で販売を開始。年間約300石のラガービールを醸造していたとのこと。しかし、まだ王冠の技術がなく、瓶が破裂し易いなどの理由で2年後に製造装置を売却、事業を中止したそうだ。

それから約100年後、1994年のビール醸造の規制緩和をきっかけに再度ビール醸造に挑戦。自社の敷地内から湧き出る地下天然水でビールを仕込んでいる。

右からピルスナー・ペールエール・限定商品のメルツェン・ミュンヒナーダーク。
いずれも共通してまろやかな口当たりとフルーティーな味がする。温度管理がしっかりされている印象をうけた。特にうまく感じたのはピルスナー。ピルスナーなのにピルスナーとは思えないフルーティーさがあった。たぶん蔵出しだからこそ出る味なんだと思う。

行って初めて知ったんですが、なんと石川酒造さんは1994年の規制緩和以前にもビールをつくっていたそうで、その年はなんと1887年、明治時代ですよ。文明開化・殖産興業の時代に、新しい流れに乗り遅れてはならないと、海外から入ってきたビールをつくろうとしたんでしょうねえ。そういえば当時も雨後の竹の子のごとく100を超えるビールメーカーが誕生したそうですが、それってまるで今のクラフトビアブームのよう。このブームが昔のように終息せず、いつまでも続きますように。

これ↑は当時使用していたビール釜と、その窯を納めるために建立された「麦酒窯の堂」。柱には当時のビール醸造の様子が彫られている。

資料館には、明治時代にビール醸造をしていた当時のレシピや瓶・ラベル等が展示されている。
石川酒造は1887年2月からビール釀造を開始し、同年6月から「日本麦酒」の名称で販売を開始。年間約300石のラガービールを醸造していたとのこと。しかし、まだ王冠の技術がなく、瓶が破裂し易いなどの理由で2年後に製造装置を売却、事業を中止したそうだ。

それから約100年後、1994年のビール醸造の規制緩和をきっかけに再度ビール醸造に挑戦。自社の敷地内から湧き出る地下天然水でビールを仕込んでいる。

右からピルスナー・ペールエール・限定商品のメルツェン・ミュンヒナーダーク。
いずれも共通してまろやかな口当たりとフルーティーな味がする。温度管理がしっかりされている印象をうけた。特にうまく感じたのはピルスナー。ピルスナーなのにピルスナーとは思えないフルーティーさがあった。たぶん蔵出しだからこそ出る味なんだと思う。
