江田島周辺で大破着底した各艦船の着底地点を巡ってきた。
ルートは呉⇒利根が大破着底した能美⇒大淀が大破着底した江南⇒旧海軍兵学校を通過して⇒榛名が大破着底した小用⇒江南まで戻って音戸へ⇒天城と葛城と伊勢が大破着底した音戸⇒青葉が大破着底した警固屋⇒呉という約80キロのルート。下の地図の青い線にそって行ってきた。

江田島は「かきしま海道サイクリングロード」ってのを整備したそうで、道路にはしまなみ海道の如くブルーラインや距離が書かれている箇所があった。今回走ったルートは一部しかそれに沿ってないけど、それでもブルーラインがあった時は安心して走れた。こういうのイイね。


んで、重巡・利根が大破着底した能美に到着。大破着底地点の目の前に建てられている利根資料館を訪問した。資料館の裏には戦没者慰霊碑があった。黙祷。

資料館には士官室で使っていたという机や、浴槽、各種金具、弾薬庫、鍋などの小物等が展示されていた。




資料館の目の前にある中田港で利根は大破着底した。
赤点の箇所が現在、利根資料館のある場所で、赤丸で囲っているところに攻撃されている利根がいる。主砲が空を仰いで対空攻撃している様子が捉えられている。


能美を後にし、次に行ったのは軽巡・大淀の大破着底地点である江南。写真の左側に大淀乗員等の鎮魂碑があり、右側に写っている湾で大淀は大破着底したそうだ。

そして江南から旧海軍兵学校(現・海自第1術科学校)のあたりへ移動し、丘を登って下り小用港へ。ここで戦艦・榛名が大破着底した。写真にコンクリ堤防が写っているが、その奥辺りでやられた模様。本当は小用港に行く前に学校を見学したかったんだが、時間が合わなかったので諦めた。陸奥の主砲見てみたかったなぁ。


江田島公園にある榛名と出雲の鎮魂碑。けっこうな斜度の所にありました。

小用港を後にし江南まで引き返した後、湾に沿って南進。そして早瀬大橋を渡って呉の音戸へ。35号線に沿って来た道を帰ります。その途中で空母・天城と空母・葛城が大破着底した三ツ子島を
右側の赤丸箇所で葛城が、左側の赤丸箇所の奥で天城が沈んだ。

そして、そのすぐ近くで戦艦・伊勢が大破着底した。同型艦の日向もすぐ近くで大破着底しており、伊勢をサルベージした会社が日向もサルベージして解体したそうだ。

伊勢は写真の右側の赤丸箇所で大破着底したとのこと。


そして警固屋に移動し、重巡・青葉の大破着底地へ。着底地は今は埋め立てられており、ちょうど碑のあるあたりが着底地の模様。碑には海軍主計中尉として青葉に乗艦していた中曽根康弘・元総理が揮毫している。


ルートは呉⇒利根が大破着底した能美⇒大淀が大破着底した江南⇒旧海軍兵学校を通過して⇒榛名が大破着底した小用⇒江南まで戻って音戸へ⇒天城と葛城と伊勢が大破着底した音戸⇒青葉が大破着底した警固屋⇒呉という約80キロのルート。下の地図の青い線にそって行ってきた。

江田島は「かきしま海道サイクリングロード」ってのを整備したそうで、道路にはしまなみ海道の如くブルーラインや距離が書かれている箇所があった。今回走ったルートは一部しかそれに沿ってないけど、それでもブルーラインがあった時は安心して走れた。こういうのイイね。


んで、重巡・利根が大破着底した能美に到着。大破着底地点の目の前に建てられている利根資料館を訪問した。資料館の裏には戦没者慰霊碑があった。黙祷。

資料館には士官室で使っていたという机や、浴槽、各種金具、弾薬庫、鍋などの小物等が展示されていた。




資料館の目の前にある中田港で利根は大破着底した。
赤点の箇所が現在、利根資料館のある場所で、赤丸で囲っているところに攻撃されている利根がいる。主砲が空を仰いで対空攻撃している様子が捉えられている。


能美を後にし、次に行ったのは軽巡・大淀の大破着底地点である江南。写真の左側に大淀乗員等の鎮魂碑があり、右側に写っている湾で大淀は大破着底したそうだ。

そして江南から旧海軍兵学校(現・海自第1術科学校)のあたりへ移動し、丘を登って下り小用港へ。ここで戦艦・榛名が大破着底した。写真にコンクリ堤防が写っているが、その奥辺りでやられた模様。本当は小用港に行く前に学校を見学したかったんだが、時間が合わなかったので諦めた。陸奥の主砲見てみたかったなぁ。


江田島公園にある榛名と出雲の鎮魂碑。けっこうな斜度の所にありました。

小用港を後にし江南まで引き返した後、湾に沿って南進。そして早瀬大橋を渡って呉の音戸へ。35号線に沿って来た道を帰ります。その途中で空母・天城と空母・葛城が大破着底した三ツ子島を


そして、そのすぐ近くで戦艦・伊勢が大破着底した。同型艦の日向もすぐ近くで大破着底しており、伊勢をサルベージした会社が日向もサルベージして解体したそうだ。

伊勢は写真の右側の赤丸箇所で大破着底したとのこと。


そして警固屋に移動し、重巡・青葉の大破着底地へ。着底地は今は埋め立てられており、ちょうど碑のあるあたりが着底地の模様。碑には海軍主計中尉として青葉に乗艦していた中曽根康弘・元総理が揮毫している。

