京都東山南禅寺にある金地院に、小堀遠州が作庭した庭があるので行って見て来ました。


もともと金地院は室町時代に別の場所に建てられていた寺院ですが、1605年に紫衣事件で有名な崇伝が南禅寺の塔頭として現在の地へ移転させました。そして1627年に徳川家の繁栄を祈願した庭の作庭を小堀遠州に依頼し1632年に完成、現在に至っています。

IMG_2071

IMG_2072
境内には、家康の遺髪と念持仏を祀る東照宮があります。そして、この東照宮は庭の構成と関係があるので、庭を見る前にまずそちらに行ってみます。

IMG_2079

秋の雨の日に行ったので紅葉が落ちてました。

IMG_2080

東照宮。

IMG_2081

狩野探幽の鳴龍画と土佐光起の絵。

IMG_2083

東照宮を後にし、庭のある方丈に向かいます。道中にある池に鷺?がいました。

IMG_2075

IMG_2076
方丈の前に広がる鶴亀の庭。諸大名から贈られた名石を配し、蓬莱神仙思想に基づいた庭になっているとのこと。だが、随所随所に小堀遠州のこだわりが盛り込まれた庭にもなっています。

IMG_2085

この庭の設計・指図を行ったのは小堀遠州ですが、現場で施工に携わったのは賢庭という人物。賢庭は、後陽成天皇から天下第一の名手と称された庭師です。庭の構成は中央に蓬莱神仙を表す石組み、その前に礼拝石、右に鶴島、左に亀島、それらの奥に大刈込の深山、さらにその奥右側の見えないところにさっき行った東照宮となっています。

IMG_2091

亀島。賢庭は亀島の石組みを得意としており、その特徴をよく表しているのがこの亀島だそうです。ですが、ここにも小堀遠州のこだわりが反映されており、通常の亀石には五葉松が使われるところを柏槇が使われています。

IMG_2086

広く平べったい石が礼拝石。礼拝石の前に広がる霞砂利は池を表しており、よく見ると少し首を持ち上げた小さな亀石もいる。

そして山向こうの右側にさっき行った東照宮があって、住職は礼拝石から東照宮に向かい毎日参拝するらしい。ちなみに山の裾野にある石群は、蓬莱神仙を表す石組みとのこと。家康は神々よりも崇高な存在ということか。

IMG_2093

IMG_2088

鶴島。横長の巨石は鶴の首を表しており、安芸城主・浅野家から寄進されたものとのこと。

IMG_2089

いい庭でした。

IMG_2096