場所は新潟県長岡市の与板町。与板町はあの直江兼続が治めた街で、江戸時代には井伊家が藩主となった街です。その街のど真ん中に中川清兵衛生は生まれました。

中川清兵衛は1848年に藩の御用商人を務める家の分家に長男として誕生しました。訳あって本家の後を継ぐために修行していたところ、詐欺師に騙され商売に大打撃を与えたため勘当され横浜に単身旅立ちます。この時17歳です。

横浜からイギリスに密航し現地で召使いとして働いていた所、西洋視察に来ていた青木周蔵に出会い、ドイツのベルリン醸造所ティボリ工場で働くよう斡旋され、そこで2年間修行しブラウマイスターの免許を取得。日本に帰国し、国の殖産興業および札幌開拓使事業の一環として計画されたビール醸造事業の実質的責任者として活躍します。ちなみにこの時設立された札幌開拓使麦酒は現在のサッポロビールです。

生誕地は現在は駐輪場になっています。

生誕地から少し離れたところにある記念館にも行きました。これは記念館の隣にある寺の門。元々は与板城の大手門だったそうです。


記念館の前にある直江兼続の銅像。



記念館です。


館内には様々な説明板や展示品がありましたが写真撮影禁止でした。が、唯一これだけ写真撮影OKでした。全長1.5メートルはありそうです。

このビールの存在はずっと昔から知ってて何故に新潟限定なのか謎でしたが理由がわかりました。

記念館の近く、川沿いにある中川清兵衛記念バーベキュー&ビアガーデン。訪問したのがたしか10月始めとかだったので当然閉まってました。

この場所ではないですが、毎年7月下旬に役場前駐車場で中川清兵衛ビールフェスタが開催されているそうです。

ビアガーデン会場に沿って良寛の歌碑もあります。

せっかく長岡に来ているので、長岡の偉人である山本五十六の記念館にも行きます。

館内はもちろん写真撮影禁止でした。中にはブーゲンビル島から回収した山本五十六搭乗の一式陸攻の翼が展示されていました。超貴重。

記念館の一筋隣にある生家跡と公園。




意外と小さい?

玄関です。この真上の2階の部屋が山本五十六の部屋だったそうです。

それがここ。

生家を裏から。

せっかく現地に来たので『風味爽快ニシテ』を飲みます。グラスのロゴがノーマルなのが残念ですけど中は間違いなく風味爽快ニシテです。

美味い。
