クラフトビールと盆栽の日記@高知

地ビール協会認定・ビアテイスター、ビア&スピリッツ協会認定・ビアアドバイザーのブログ。 飲んだビールのメモ帳&趣味の盆栽の観察日記です。 ※ビアスタイルガイドラインに沿った評価はしていません。

カテゴリ: 庭園

京都の二条城に小堀遠州が改築した庭園があるので行ってみました(と言っても一年半ほど前の話ですが)。

二条城は1603年に徳川家康によって築城。庭園もこの時に作庭されていましたが、1626年の御水尾天皇の御幸に伴い、徳川家光の命に寄って小堀遠州が庭園と御殿の一部を増改築。その後、増設された御殿の一部は仙洞御所として移築され、現在に至っています。

IMG_2097

入口となる東追手門。

IMG_2099
・・・の、正面に向かって左下の辺りにある、何故かたった一羽だけいる千鳥の装飾。有名なこいつを発見できてラッキー。
IMG_2100
二の丸御殿前の唐門。

IMG_2101
IMG_2102
二の丸御殿には入らず左に進んでいくと、二の丸庭園、通称・八陣の庭があります。

IMG_2103
IMG_2104
これが二の丸庭園。池泉廻遊式庭園です。御幸時には左側奥に行幸御殿が建てられ、さらに御殿から池の先まで水亭が伸びていたそうです。また、目の前にある舟石は後世に加えられたものだそうです。IMG_2105
IMG_2106
IMG_2108
庭の中央に位置する蓬莱島。庭は、黒書院と大広間と行幸御殿とで三方から囲われるようにしてあり、黒書院と行幸御殿とは相見える位置にありました。そこで、黒書院と行幸御殿との間に、几帳の役割となる蓬莱島を設けたそうです。IMG_2113
IMG_2114
IMG_2110
黒書院

IMG_2111

蓬莱島の左右に亀島と鶴島があります。

IMG_2116

IMG_2117
IMG_2118
IMG_2119
石橋は後世に架け替えられたもので、遠州が造った当時は丸みを帯びた木橋だったそうです。

IMG_2120
IMG_2121

この滝も遠州が造った当時とは位置が異なっており、明治期に作られたそうです。


IMG_2115

ちなみに、こちらはライトアップされた夜の二の丸庭園。

IMG_1663

IMG_1666
IMG_1668
IMG_1677
IMG_1680
IMG_1682
IMG_1683
IMG_1688
IMG_1690
IMG_1694









このエントリーをはてなブックマークに追加 mixiチェック

高野山の福智院に重森三玲が作庭した庭があるので見てきました。


これらの庭は松尾大社とともに重森三玲が最後に手がけた遺作となる庭で、1973年に登仙庭と遊仙庭を、1975年に愛染庭を完成させています。と言っても、愛染庭の作庭途中に氏は亡くなっており、愛染庭は松尾大社とともに氏の亡き後に門人たちが完成させています。


遊仙庭。この庭は元々あった池を埋め立てて枯山水にした庭で、三方が正面になる中庭です。753式で白砂と赤砂そして苔の対比が目立ち、蓬莱深山をイメージさせる庭園でした。

IMG_1953

IMG_1954
IMG_1956
IMG_1970
IMG_1971
IMG_1972

登仙庭。この庭は池の周囲の州浜を石とコンクリで作り、モダンなデザインになっています。池には鶴亀島が2つあり、その背後には大刈込の築山が。そして築山の上部には蓬莱式の石組み、そこから左手下部に向かって龍門爆があり、龍門爆が池と繋がるという形式になっています。

IMG_1975

IMG_1978
IMG_1979
IMG_1983
IMG_1985
IMG_1986
愛染庭は、格子状に組まれた蔓石の敷石に赤砂と白砂を敷いて赤白格子模様にしている庭と、皐月で出来た築山連山の刈り込みに石組みを配して蓬莱神仙を表現した庭とで出来ています。重森三玲はこの庭に石組みと敷石を配して下山し、その翌年に亡くなりました。

IMG_1990

IMG_1991
IMG_1951
IMG_1950
この日は宿坊に宿泊。というか、高野山にあるほとんどの庭は宿坊に泊まらないと見せてもらえない。福智院には温泉があるので最高でした。

IMG_1974

夕食朝食はもちろん精進料理。どの料理もかなり美味かった。

IMG_1988

IMG_1989



このエントリーをはてなブックマークに追加 mixiチェック

京都東山南禅寺にある金地院に、小堀遠州が作庭した庭があるので行って見て来ました。


もともと金地院は室町時代に別の場所に建てられていた寺院ですが、1605年に紫衣事件で有名な崇伝が南禅寺の塔頭として現在の地へ移転させました。そして1627年に徳川家の繁栄を祈願した庭の作庭を小堀遠州に依頼し1632年に完成、現在に至っています。

IMG_2071

IMG_2072
境内には、家康の遺髪と念持仏を祀る東照宮があります。そして、この東照宮は庭の構成と関係があるので、庭を見る前にまずそちらに行ってみます。

IMG_2079

秋の雨の日に行ったので紅葉が落ちてました。

IMG_2080

東照宮。

IMG_2081

狩野探幽の鳴龍画と土佐光起の絵。

IMG_2083

東照宮を後にし、庭のある方丈に向かいます。道中にある池に鷺?がいました。

IMG_2075

IMG_2076
方丈の前に広がる鶴亀の庭。諸大名から贈られた名石を配し、蓬莱神仙思想に基づいた庭になっているとのこと。だが、随所随所に小堀遠州のこだわりが盛り込まれた庭にもなっています。

IMG_2085

この庭の設計・指図を行ったのは小堀遠州ですが、現場で施工に携わったのは賢庭という人物。賢庭は、後陽成天皇から天下第一の名手と称された庭師です。庭の構成は中央に蓬莱神仙を表す石組み、その前に礼拝石、右に鶴島、左に亀島、それらの奥に大刈込の深山、さらにその奥右側の見えないところにさっき行った東照宮となっています。

IMG_2091

亀島。賢庭は亀島の石組みを得意としており、その特徴をよく表しているのがこの亀島だそうです。ですが、ここにも小堀遠州のこだわりが反映されており、通常の亀石には五葉松が使われるところを柏槇が使われています。

IMG_2086

広く平べったい石が礼拝石。礼拝石の前に広がる霞砂利は池を表しており、よく見ると少し首を持ち上げた小さな亀石もいる。

そして山向こうの右側にさっき行った東照宮があって、住職は礼拝石から東照宮に向かい毎日参拝するらしい。ちなみに山の裾野にある石群は、蓬莱神仙を表す石組みとのこと。家康は神々よりも崇高な存在ということか。

IMG_2093

IMG_2088

鶴島。横長の巨石は鶴の首を表しており、安芸城主・浅野家から寄進されたものとのこと。

IMG_2089

いい庭でした。

IMG_2096



このエントリーをはてなブックマークに追加 mixiチェック

大阪の岸和田城に、重森三玲が作庭した庭があるとのことで見てきました。


この庭は岸和田城天守閣の再建記念として1953年に作庭されました。和歌山県沖の島で取った青石を使って、諸葛孔明の八陣を表現しているそうです。ちなみに八陣とは、戦の時の基本陣形を8つの型で表したもので、諸葛孔明のそれは天・地・風・雲・龍・虎・鳥・蛇で表しているそうです。

IMG_1311

岸和田城は南北朝時代に建てられた城で、時代を経るたびに天守と郭が変わったが、江戸時代後期に天守が消失した後は再建されず、庭が完成した翌年の1954年に天守が再建されました。石垣や掘は江戸時代のそれのままだそうです。

IMG_1309

天守閣望楼から俯瞰した八陣の庭。庭は3つに地割されており、これは室町以前にあった岸和田城の廓をモチーフにしているそうです。重森三玲は最上段(いわゆる本丸)に大将となる大石の石組みを配置し、その周囲に八陣を表す石組みを配置しています。

IMG_1281

中央に大将、それを守るかのように右に虎、その左に天、一番左に蛇。

IMG_1283

天。空高くそびえる石組みが、まるでどこまでも広大に広がる天をイメージさせ、その広がりがまるで幾千幾万もの大軍が待ち構えているように連想させる。

IMG_1284

蛇。やや黒く深い色をした巨石が威圧感を出しながら横たわっている。まるで大蛇の如し。

IMG_1285

雲。雲の石は特に大きくもなく形も平凡で、確かにまるで単調な雲のよう。しかも雲の陣の向こうには大将まで遮るものはなく、容易に大将まで攻め込めそうに思う。だがしかし、何故にこんなに攻めやすそうなのか。何か罠があるのではないか。それが逆に怖く攻め込みにくい。

IMG_1287

龍。荒々しく漂う黒雲の中から龍が現れて、威圧しているかのような雰囲気。まるで自分自信も嵐の中に身を置いていて、目の前に龍が現れて、これから先自分はどうなるのだろうかと不安にさせられる。鉄壁の龍神。

IMG_1289

風。激しい風雨をもたらす積乱雲の群のように見える石組み。激しい風雨を伴う嵐でもって、敵軍の侵入を防ぐ感じ。

IMG_1291

鳥。翼を広げた鳳凰を連想させる。鳳凰が首を伸ばして顔をこちらに向け威圧している。

IMG_1296

地。何をしてもビクともせず、そこから動かない印象を受ける。どんな攻撃にも耐え、何としてでもここを守る、動かざること山の如し、な印象を受ける。

IMG_1298

虎。地平を走る猛虎を連想する石組み。鉄壁の守り。

IMG_1299
















このエントリーをはてなブックマークに追加 mixiチェック

高野山の西南院に、重森三玲が手掛けた庭園があるとのことで見学に行ってきました。

この寺院は平安初期に弘法大師の高弟・真然大徳が開基。高野山の裏鬼門に位置するため除災招福を祈願し、元旦から七日間は万人豊楽の祈願を古式に沿って厳修しているとのこと。また、鳥羽法皇が参詣した際には効験あらたかであるとして勅願寺に定め、江戸時代には大分・岡山・淡路・関東の諸大名が参詣した名寺院らしい。

IMG_1949


で、高野山には重森三玲が作庭した庭園が9つほどあるんですが、いずれも宿坊に泊まらないと見学できないものばかり。その中で唯一、この寺院はカフェを利用すれば宿泊しなくても庭園を鑑賞できるのです。
IMG_1938
庭園は1952年に重森三玲が改築。元々は池泉式庭園があったそうです。重森三玲も池泉式庭園を築いたそうですが、その後に改築され現在は枯山水庭園になっています。
IMG_1947
鶴島と亀島。白砂のところには往時は池があったんでしょうね。右の松がある方が亀島で、左が鶴島だそうです。実はアタクシ、逆だと思ってました。
IMG_1946
横長の岩がいくつもある。舟石でもなさそうだし、蓬莱山でもないし、何を意図しておいているんだろう。ちなみに右にかすかに見える赤い建物は徳川家康が寄進した経堂とのこと。
IMG_1942
で、この横長の岩なんですが、岩の先を見てみると、どれも鶴島亀島の方に向かってるんですよね。で、その先には茂みに隠れてるけど龍門爆みたいな石組みがあるんですよ。ならこの岩達は鯉魚石だと思うけど、何故に池の外にあるのかが不思議。もしかしたら、わざと池の外に置くことで、未熟な鯉が水を求めて勢いよく入水する直前を連想させようとしてるのかも。
IMG_1939
黒丸のところに龍門爆があります。池泉式だった頃の庭園も見てみたかったです。
FullSizeRender

このエントリーをはてなブックマークに追加 mixiチェック

兵庫県の丹波篠山市にある如月庵に、重森三玲が作庭した庭があるとのことで行ってきました。

如月庵は篠山藩家老屋敷を1969年に改築した畑氏邸内に設けられた庵で、現在は篠山観光ホテル内にある牡丹鍋処・如月庵となっています。場所は篠山城の北東、篠山市役所の道を挟んだ東隣という好立地にあります。
IMG_1509
これが「蓬春庭」です。白砂に苔島の枯山水様式で、苔島に2組の三石組があります。白砂にある巨石は、形から推測するに舟石ではなく、龍や鯉を表しているのだと思います。
IMG_1536
だとすると、この石組なんですが、白砂にある鯉魚石の向きから、正面にある石組が龍門爆で、松のふもとにあるのが三尊石組だと思われます。
IMG_1529
反対方向から。昔は奥にも庭園が広がっていたようです。
IMG_1549
鯉魚石を中央に、右は龍門爆で、左は三尊石組だろうか。右はちょうど中央の石に水流の模様があるので龍門爆で間違いないと思うが、左は中央の石に流れが見えるから龍門爆にも思えるけど、その流れ自体が仏の姿に見えるから三尊組石だと思う。そもそも鯉魚石が石組に向かっていないので龍門爆の役割果たしてないので三尊石組でいいと思うがどうだろう。
IMG_1537
または、鯉魚石は東福寺龍吟庵・龍門の庭のように、龍が雲海から抜け出し顔をだした瞬間を表し、石組は蓬莱神仙を表しているのだろうか。でもそれだと松の木を蓬莱山の上に来るように置かないだろうし、やはり違うような気がする。
IMG_1540
どちらにせよ、この象徴的な鯉魚石がカッコいい。小さくも素晴らしい庭でした。
IMG_1541
ちなみに、庭のある如月庵は今は牡丹鍋処なんですが、元家老屋敷なだけあって江戸時代の大皿や甲冑なども飾られており、それを眺めるだけでも一見の価値ありです。
IMG_1550
また、ホテル併設なので宿泊することもできます。運が良ければ、篠山城を眼前に、そして蓬春庭を眼下に収めることのできる部屋に泊まれます(↓部屋からの眺め)。
IMG_1559
IMG_1557


このエントリーをはてなブックマークに追加 mixiチェック

兵庫県丹波篠山市の住吉神社に、重森三玲作の庭があるとのことで行ってきました。

この神社は1081年に大江匡房が摂津国の住吉大社から分霊して創建。江戸時代には歴代の篠山城主の庇護を受け、現在に至っています。場所は福住という地区にあり、372号線から1つ南に入った道沿い、篠山東雲高校の北にあります。

庭は社務所の裏にあり、氏子総代を務める野々口氏の要請を受けて1966年に作庭したとのこと。ちなみに重森三玲は本休寺や如月庵など近隣でも作庭していますが、そのきっかけをつくったのも野々口氏だそうです。
IMG_1496
第四代篠山城主・松平康信が修復した本殿。本殿前に伸びている赤松?が見事で、とても清々しい気持ちになりました。しかも参拝してこの写真を撮っていると、晴天の中から清めの雨が降ってきていっそう清々しい気持ちに。何か良いことがありそうな気がします。
IMG_1498
本殿の隣に社務所があり、その裏手に住之江の庭があります。
IMG_1495
IMG_1487
で、これが住之江の庭。住吉大社が海の神であることから、大海と蓬莱神仙の世界を表現しているそうです。大きな白いセメントで作られた大波と白砂が雄大な大海を、7,5,3,で組まれた立石が蓬莱神仙をよく表しており、中央にポツンと置かれた小さな舟石と苔の島がその対比として置かれ、大海の雄大さと蓬莱神仙の深淵さを引き立てています。
IMG_1494
奥の竹垣は住之江の漁村で見られる網掛けを表現しているとのこと。竹垣に何かを表現する手法や白いセメントで波紋等を表現する手法はここだけでなく東福寺龍吟庵の庭にも見られます。
IMG_1492
社務所の玄関側にも庭がありました。住之江の庭の導入的な役割とのこと。大海への出発点となる漁村といった感じか。
IMG_1489
こちらにも網掛けの竹垣があります。
IMG_1490
ちなみに庭園は通常非公開ですが、神社での各種イベント時には公開されます。で、イベントの一つとしてビアガーデンがあるんですが、実は神社から徒歩数分圏内に2つのクラフトビールブルワリーがありまして、そのうちの一つ丹波篠山ジグザグブルワリーではビールの持ち帰り購入ができるのでお勧めです(事前電話したほうが確実)。また、近くに古民家を改装したホテルがあるのですが、ビアガーデン時にはここに宿泊するのがおススメです。

このエントリーをはてなブックマークに追加 mixiチェック

兵庫県の丹波篠山市にある本休寺に、重森三玲作の庭があるとのことで見学に行ってきました。

この寺は戦国時代にこの地を治めていた籾井氏の菩提寺で、江戸時代に再興されて現在に至っているそうです。現在は(当時から?)曹洞宗の寺ですが、境内には八幡社もあり、寺の住職が八幡社の行事も執り行っているそうで、この地では廃仏毀釈の影響を受けず神仏習合が続いているようです。

場所は福住の町並みの北にある本明谷の中腹、372号線からベルグリーンカントリークラブへ通じる道の途中に参道入口があり、そこを登って行ったところにあります。参道入口には左右に石碑があるので、これを目印にするといいでしょう。
IMG_1505
石碑には重森三玲作庭との記載があります。重森三玲は氏の晩年にこの周辺の数ヶ所の庭園を手掛けており、1974年にこの庭も作庭したそうです。境内には本堂と、八幡大菩薩と観世音菩薩を祀ったお堂がそれぞれあり、庭は本堂横に1つ、両菩薩を祀ったお堂前に1つの合計2つあります。
IMG_1504
で、これは菩薩堂前にある庭。おそらく皐月だろう刈込が均等に並び、その奥に枯山水庭園があります。八幡の庭と観音の庭があるそうですが、どっちがどっちか分かりません(笑)
IMG_1499
立石と大きな切株、晩年の重森三玲らしい石を敷き詰め、かつ色付けされた河が見える。切株は何かを意図して置いているのではなく、数年前までは本当に大木が立っていたが枯れて切り取った跡らしい。けど、これはこれで立石効果があっていいかも。
IMG_1500
この角度からだと河の様子がよくわかる。重森三玲らしいモダンさ。河かと思ったけど、赤に青い石(阿波石?)の映えるコントラストは何かのパワーを表してるようにも思える。また、力ではなく、もしかしたら雲海を表してるのかもしれない。よく見ると白壁にも波が描かれているが、もしかしたら山々なんだろうか。
IMG_1502
IMG_1503
本堂横の庭。3.2.2.3と立石が配置されている。さっきの庭と比べると静かな印象を受ける。こちらの壁にもよく見ると波か山脈のような模様が描かれている。
憶測だが、さっきの庭はこちらの庭と比べて荒々しいので、戦の神である八幡大菩薩にちなんだ八幡の庭、こちらの庭は静かで安らぎを感じさせるので観音の庭だと思う。
IMG_1501


このエントリーをはてなブックマークに追加 mixiチェック

霊源院の庭園「鶴鳴九皐」が完成したとのことで見学に行ってきました。

霊源院は1358年に創建された妙喜世界に起源をもつ建仁寺の塔頭寺院。学問面の修行場として多くの名僧を輩出した寺院だそうで、そのなかには「一休さん」の先生である幕哲龍がいるそうです。場所は建仁寺の南東側、六堂珍皇寺の北側にあるんですが、実は何度か移転したのち明治5年に現在の地へ移転してきており、それ以降、院内に庭園はあったものの一部は荒廃したままになっていたそうです。

そこで、霊源院にゆかりのある今川義元(幼少期に修業したそうです)が今年で生誕500年になるのを記念し、庭園を整備することになって今年完成したのが今回訪問した「鶴鳴九皐」庭園。作庭したのは「昭和の小堀遠州」と称された中根金作の孫である宏行・直紀兄弟で、庭園は仏教伝来を表現しているとのこと。通常は非公開ですが、完成を記念して12月まで公開しているそうです。
IMG_1246
本堂から望む「鶴鳴九皐」庭園。写真には写っていないが左側には甘露庭という釈迦の誕生から入滅までを表現した枯山水庭園があり、そこからこの庭に繋がっている。もしかしたら甘露庭は釈迦と仏教が生まれたインドを、本堂前のこの庭園は仏教が伝播し独自に昇華した中国を表しているのかも。正面に2つ高くそびえる岩は中国仏教の聖地・廬山のような険しい山々で、奥に広がる草木は中国の広大な大地と幾重にも重なる山々、白砂は海を表現しているようにも思える。
IMG_1247
中国に向かって舟が入ろうとしているみたい。
IMG_1255
ふと、建仁寺の開祖・栄西が修業したのってどこなんだろうと思い、調べると、中国の天台山というところとのこと。で、地図で場所を確認したら青丸の所なんだけど、なんか庭の形や位置関係が地図と似てない?もしかしたら廬山だと思っていた岩は、実は栄西が修業した天台山を表しているのかも。
キャプチャ3
なら、この舟は、中国に留学しようとしている栄西を乗せた舟だとも思える。これから厳しい修行に取り組むんですねぇ。がんばれ。ん?舟の行き先に何かあるぞ?
IMG_1256
あら。達磨大師がお出迎えしてくれてますわ。つか臨済宗寺院(禅寺)の庭だから達磨大師がいてもおかしくないか。むしろ舟に、後に臨済宗を興す栄西が乗っているんだとしたら、喜んでお出迎えしてるって構図で読み取ったほうが、ストーリー性があって面白いし良いよね。んで達磨大師さん、頑固者だからちょっと隠れぎみにお出迎えしてるって感じでね(笑)
IMG_1249
この角度のほうが舟石の形が分かりやすいかも。
IMG_1252
鶴鳴九皐の左側。そういえば庭園名の「鶴鳴九皐」は「山の奥深くに隠居していても、賢者の名声は自然と世間に広がる」という意味とのこと。この庭は仏教伝来を表現しているとのことだが、「鶴鳴九皐」の意味を深読みするとそれだけでなく、栄西と臨済宗の歴史を顕彰する意味も込められてるのかもしれない。
IMG_1257




このエントリーをはてなブックマークに追加 mixiチェック

6月の話ですが、あじさい寺で有名な楊谷寺(柳谷観音)に行ってきました。

楊谷寺は眼病平癒の祈願所として有名ですが、もう一つの顔として紫陽花の咲き誇る寺としても有名。特に手水に紫陽花を飾った花手水が「インスタ映えする」と女子に人気になっています。なので紫陽花が咲き誇る6月後半~7月前半は写真撮影を目的にした参拝客であふれかえるのですが、その中でも特に混むのが17日。何故かというと、名勝庭園である浄土苑を上から眺められる上書院が17日の午前中のみ公開されるからです。今回は激混みするだろう、その6月17日に参拝して名勝庭園を観覧してきました。

場所は京都府の長岡京市。京都縦貫道の長岡京ICから車で10分くらいの山上に楊谷寺はあります。開門は9時からなのですが、コロナ自粛が解禁される直前だったので参拝者は少ないだろうと思い8時半ころに到着するよう行ってみました。がっ!

すでにこの状態↓でした。お前ら自粛しろよ(お前もだろ!)。
IMG_0888
本堂です。
IMG_0950
本堂の手前にある、龍の吐水口がついている手水舎。龍手水と呼ばれている。
FullSizeRender
置かれる花は日によって異なるそうだ。
FullSizeRender
映え写真を撮ろうとする人で溢れかえってました。
FullSizeRender
凛々しいはずの龍が、花のお蔭かなんだか温和に見える。
FullSizeRender
手水舎を後にし本堂へ。そして本堂から書院に向かう途中に庭手水があります。そして書院へ向かうと、、、
FullSizeRender
お目当ての楊谷寺庭園・浄土苑が眼前に。江戸時代中期に作庭された池泉式庭園で、重森三玲が古都百庭に選んだ庭の一つとのこと。斜面に配されている石のうち大きなものは菩薩を表現しており全部で13ある。
FullSizeRender
石の間にはドウダンツツジが咲いており、秋が見ごろとのこと。
FullSizeRender
池があって島伝いに斜面へ行けるよう石橋がある。その石橋を渡って道を伝って斜面へ行くと(実際には行けないけど)その先にもう一つ石橋があり、その下には渓谷と急流を思わせる石組があって、急流が池へと繋がっている。
FullSizeRender

FullSizeRender
書院側にある窓手水。
FullSizeRender
書院にいらした仏様。
FullSizeRender
書院から庭を挟んだ反対側にある上書院。
FullSizeRender
書院を後にし、上書院の前に来るけど一旦スルーして、奥の院へ通づる廊下を通ります。すると至る所に紫陽花が。さすがアジサイ寺。
FullSizeRender
心琴窟と、その上に作られてる琴手水。心琴窟は水琴窟のことで、右側にちょっと写っている竹筒を瓦に当てて地下に埋めた瓶に反射する水の音を聞くというもの。耳ではなく心で感じてほしいことから心琴窟と名付けたとかなんとか。
FullSizeRender
この瓦に竹筒を当てる。
IMG_0922
心琴窟の上に作られてる手水。この後、奥の院をお参りして、来た道を戻り、、、
FullSizeRender
ついに上書院へ。ここは1階。
FullSizeRender
浄土苑と書院を眼下に望める。
FullSizeRender

FullSizeRender
二階。
FullSizeRender
青紅葉が綺麗だった。紅葉の時期の景色も凄そう。
FullSizeRender
上書院を後にし、靴を履いて、今度は外から奥の院へと通ずる「あじさいのみち」へ。日本古来の品種や西洋の品種を合わせて約30種類、5000株の紫陽花が咲き誇っています。
FullSizeRender
圧巻ですなあ。
FullSizeRender
綺麗ですなあ。
FullSizeRender
苔手水。
FullSizeRender
もいっちょ。
FullSizeRender





このエントリーをはてなブックマークに追加 mixiチェック

このページのトップヘ